そろそろ引退ですけども。
なんだかんだで、2年後期の時から副部長を。3年、4年と部長を務めて来ましたが。運営とはかくも難しく人との調整ややりとり、スケジュール管理、企画や会計。そしてSNS。様々なことをやって来たなと思った今日この頃。
先輩たちの存在には感謝しているが、運営に関してはどの軽音部よりも環境は悪く最低と言っても良かった。なにせ、部室も放棄しバンド活動もままならないくらい兎に角なにもしていなかったと記憶している。確かに先輩方の技術や組んでいるバンドには尊敬だが、運営に関してはダメ出しをさせてもらう。
そんな先輩の背中を見ていたから、僕らの代で引き継いだ2年の終わりに差し掛かったころ、次の1年が入ってくるまでに、部室の確保や行事の制定、書類整理や会計など本当に仕事に追われていたと思う。1年生がこんなところで音楽が出来るわけがないとその当時の自分たちでも思っていたから、とにかく2年の終わりは設備を最低限整えることを目標にした。
3年になり、1年生は何人か加入してくれたが、確か6名が加入したが大半は他の軽音部に行ってしまった者もいる。限界を感じるも、学外部員の導入やインカレ化を進めたり、SNSの活用などを進め、何とか3年にして他の軽音部との合同に頼らないワンマンでの本サークルの定期ライブの開催ができたことや初の遠征なども記憶に新しい。
4年になり、コロナの影響を受けサークル活動がままならない中でTwitterをやっていたお陰で何とか部員の確保に繋がった。非常にありがたい事だと思う。現在は広島県内どのサークルよりも活動ができているのではないかと思う。それくらい、この軽音サークルは変化して良い方向に進んだ。他の軽音部に負けない、力をつけることができたのだと思う。
何かに例えるなら、荒れ果てた畑を耕すような感じだ。少しずつ整備してやれば、芽は出てやがて花になり実になるように、誰かが整備すれば必ず良くなる。今回は、俺だったってだけで。次の世代から俺がいなくなってどんな風にこの軽音部が変わるのか、楽しみで仕方がない。最近は託すことが楽しみだ。でも、たくさん変えてきて良かったと思う。
こんな日記を読む奴なんて居ないだろうから言うけど。本当、ここまでくるのに大変だったよ。泣いたりも悔しくなったり離れていった奴にイラついたり、本当にいろんな思いをした。だからこそ誰よりもこの軽音部に思い入れがある。この軽音部がいつまでも続くことを願う。
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