サークルを束ねる意味
僕は人一倍、この軽音部に賭けている。昔は2つの軽音部に所属していた。一方は活発に、もう片方は怠けていた。ある日を境に、私生活でミスをしてしまった。それを境に幹部であった僕を悪く言うもの、貶めようとするもの。その頃の自分は、弱かった。学年は1つ下だが、年上であるその男に屈してしまった。一区切りついてサークルを辞めた。
怠けていた方のサークルに戻った。活動は何もしてない。ただ部会があるだけ。何も生産性のない時間であった。偉大な先輩だと思う、でも運営は下手だった。
2年生後期、幹部が交代となり副部長になった。部長は、同い年だが仕事のしない奴。1番初めにしたことは、先代の溜めていた書類作業から。全ての手続きとサークル提示版の更新。部室の申請。多岐に渡った。
3年になり、部長は休学した。それを追うように部長に僕がなった。それを機に、辞めるもの。1人では何も出来ないと同じ幹部に言われたこと。正直悔しかった。他の軽音サークルに比べて圧倒的に人数も活動も劣っていた。だから、片方の軽音へ行く者。片方の軽音部に兼部は不可と言われ、有能な後輩を奪われたこと。活動は、厳しかった。
ある日を境に、大学外の人材に頼ることにした。友達やかつてのバンドメンバーを募り、インカレ化を図った。予想以上に上手くいった。他大学の部員の力を借り、定期ライブや追いコンライブ、遠征ライブもやり遂げることができた。快進撃だったと思う。
4年になり、コロナ禍になり活動は停止した。だが、3年の頃にこんなこともあろうかと開設していたTwitterのお陰で新入生とのコンタクトを図ることができた。今では、どの軽音サークルよりも加入人数は多いだろう。1人で何もかも回してきた。本当に1人で。バンドを作ったり、企画をしたりよく部員はついてきてくれたと思っている。
過去に受けた、屈辱がこのサークルをどの軽音部よりも強く、部員の拠り所になって欲しいと誰よりも願っている。だから、頑張れる理由にもなった。だから、誰よりも動くことができた。過去に屈して泣いたこともあったけど、今を思うとそれすら成長の糧だったと思う。もう交わることはないかもしれない。今後の後輩に、期待してまた同じ音楽をする仲間として同じライブハウスで立てたら。
だから、誰よりもこの軽音部を愛してやまない男がここにいるよ。
0コメント